11月11日「介護の日」にちなみ、なら介護の日では介護について理解と認識を深める活動・イベントを行っております。

親守唄・歌会2012 入選作品集

母が好きな緑色(作詩の部)
なつみかんと雑巾(作詩の部)
親父の座右の銘 『死ぬまでイケメン』(作詩の部)
キタダケソウ(作詩・作曲の部)
ありがとね(作詩・作曲の部)
母が好きな緑色(作詩の部)

母が好きな 緑色
だから私は お抹茶を
すするいい音 いい笑顔

母が好きな 緑色
だから私は 車いす
押して公園 歩きます
喜びの顔 見えました

母が好きな 緑色
だから私は 並木道
杖つく母に よりそって
お話ししては 肩を組み

母が好きな 緑色
だから私は 花つぼに
緑の小枝 入れてます
緑の香り 母が嗅ぐ

母が好きな 緑色
だからねむった 母の横
若葉を一枚 入れました
ほほによりそい とこしえに


作詩者:北市 蔦子(愛知県名古屋市・70歳)
*母さんは緑色が好きでした。だから年老いた母さんにミドリのプレゼントをあげました。

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なつみかんと雑巾(作詩の部)

「なにかたべたいものある かあちゃん」
「なつみかん」
枕もとに かごに入れ なつみかん置いた
次の週に行って のぞいても そのまんま
もったいなくて たべなかったと勘違い
むいてたべることが できなかったんだ

「なにかほしいものある かあちゃん」
「ぞうきん」
枕もとに かごに入れ 雑巾置いた
次の週に行って のぞいても そのまんま
もったいなくて つかわなかったと勘違い
かあちゃんぬってた 手(た)おるのつかい古し
手ぬいでやわらかい 雑巾ほしかったんだ
それなのに買ったミシン目の雑巾

かあちゃんの人生 なつみかんと雑巾
甘づっぱくて 口に入らない なつみかん
つかい古しのタオル再生
とおちゃんの病死
八人の子育て
みがいては 氷につけしぼり

みがけばみがくほど ぼろぼろになって
たおるの雑巾
かあちゃんの タンスの中でみつけたよ

二十三回忌 かあちゃん ありがとう
かあちゃん ごめんね


作詩者:柳徳子(栃木県真岡市・73歳)
*母は父亡き後、病院で働き(助産師)、私を頑張って育ててくれました。
 愚痴を言わない母だったので意をくみとれず申し訳ない思いで書きました。

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親父の座右の銘 『死ぬまでイケメン』(作詩の部)

生きてる限り 青春さ
孫等と変わらぬ 若者たちと
珈琲飲んだり カラオケに
ゲートボールにゃ 目もくれず
ファッション雑誌 読んでいる
そんな親父の 座右の銘は
死ぬまでイケメン

旅行先や 街に出て
ベッピンさんに 出逢ったならば
胸がドキドキ ときめくよ
不整脈じゃ ないからな
お酒を飲んで 照れ笑い
そんな親父の 座右の銘は
死ぬまでイケメン

ええ歳をして エロ親父
影口いろいろ 耳に入っても
好きに言っとけ 俺(わし)は俺(わし)
月に一度は 散髪屋
髪の毛 薄く なったのに
そんな親父の 座右の銘は
死ぬまで イケメン


作詩者:岡村千容(大阪府柏原市・63歳)
*歳をとっても若い人たちの輪の中へすすんで入って、生き生きしている父の姿を見て書きました。

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キタダケソウ(作詩・作曲の部)

病室から外を見ている父
二度の癌の手術も甲斐なく 寝たきり状態になっていた
そんな父を母は支え続けた
若いころ二人は 登山サークルで知り合って結婚
俺と妹を育てた
やっと二人で登山が出来る そんな矢先だった
検診で肺に影が見つかった
しかし父は弱音を吐かず じっと治療に耐えていた
そんな父を見るのが 俺たちも辛かった

ある日 母は俺と妹に胸のうちを語った
「お父さんにもう一度キタダケソウを見せたい 今行かないと後悔する」
と母は泣いた
それからと言うもの 準備は着々と進んだ
主治医の友人で登山好きの医師と看護師が 同行してくれることになり
父母そして俺と妹のパーティとなった
出発前日に 病院から自宅まで父を背負った時
思わずその軽さに 涙が止まらなかった

広河原で一泊し 朝早く小屋を出た
大樺沢(オオカンバサワ)雪渓では 父をソリに寝かせ引っ張った
ようやく八本歯のコル 空高くそびえる北岳
ここからは父が道案内 俺の背で父は 何度もうなずいていた
キタダケソウは父母の思い出の花
濃霧(ガス)にさえぎられていた記憶が 二人の歴史をよみがえらせ
40年前のプロポーズは この場所だったのだ
父の足となって 今まで登ってきたこの道は
家族にとって かけがえのない道となった


作詩・作曲者:へんり未来(東京都あきるの市・59歳)
*看護師として医療現場に身を置いて30年。数年前にある家族から聞いた話しが素晴らしく、
 私の心を豊かにしました。是非そのテーマで作品を作りたいと思いました。

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ありがとね(作詩・作曲の部)
朝だか 夜だか わからない
さっき来た人 誰だか わからない
ゆらめき 薄れる記憶の影
セピア色になって
やがて消えてゆく

思い出そうとするほどに
眉間にできる 深いしわ
大丈夫 上手くできなくなっただけ
大丈夫 悲しまなくていい

寄り添えば 寄り添えば
素敵な笑顔がよみがえる
ほら 心が澄んでくる

神様 仏様 お人形様
いろんな 所に 立ち止まり
手を合わす
ありがとね ありがとね
今日もよろしく
感謝の気持ちで 幕を引く

ぴかいち あかるい おかあさん
太陽みたいな おかあさん
もう少し もう少し
輝いてほしかった
想いを詰めた バトンをありがとう

寄り添えば 寄り添えば
素敵な笑顔がよみがえる
ほら 心が澄んでくる
一緒に暮らせて幸せだった
大切なこころを たくさんもらった
ありがとう・・・
ありがとう・・・


作詩・作曲者:松谷知子(福島県福島市・54歳)
*認知症になった母は、混乱期の時はとても大変だったのですが、できるだけ寄り添い、母らしく生きられるように、 母中心の生活をしていると、次第に澄んだ安心の目に変わっていきました。
「ありがとない」が、最後に母からもらった最高の言葉でした。
90歳の誕生日を祝い、その9日後に心筋梗塞で突然かえらぬ人になってしまいました。
あまりにも安らかな顔だったので、本人も亡くなったことがわからないのではないかと思うほどでした。
認知症になっても楽しくいっしょに暮らしたかったのですが、今までの感謝の気持ちを天国の母に贈ろうと思い作りました。

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