11月11日「介護の日」にちなみ、なら介護の日では介護について理解と認識を深める活動・イベントを行っております。

親守唄・歌会2019 入選作品集

≪親守唄大賞受賞≫今ありがとうの言葉を (作詩・作曲の部)
≪優秀賞受賞≫これからはお母さん (作詩・作曲の部)
杖とあなた 作詩・作曲/植田恭平 (作詩・作曲の部)
おかあちゃんの笑顔 〜彼岸に思う (作詩の部)
お父さん  (作詩の部)
今ありがとうの言葉を (作詩・作曲の部)

そっと瞳を閉じると 今も浮かんでくるよ
あれは遠い春の日の桜の花よ
母に手を引かれて 初めての小学校
ふと見上げた校舎と そして桜の花よ
いつか時は巡り 今母の手を引き
優しき桜を見つめてた春の日

そっと風がささやくよ 古いアルバムの中
あれは遠い秋の日のコスモスの花よ
母が写っている 懐かしいアルバムよ
若い日の笑顔と そしてコスモスの花
いつか時は巡り そっと窓辺に咲く
可憐なコスモスを見つめてた秋の日

 

もしもできるならば もう一度会いたい
そして伝えたい ありがとうの言葉を


作詩・作曲/木野田博彦(さいたま市/61歳)
 昨年の四月に亡くなった母のことを思い歌にしました。明るく、やさしく、草花や生き物が大好きな母でした。
 亡くなる10日前に車イスを押して桜の花を見せてあげた時のうれしそうな顔が忘れられず、幼い時に見た桜のことや母を連れコスモス畑に連れて行った時のうれしそうな顔を思い出し詩にしました。そして、元気だった頃にもっと感謝の気持ちを言葉にしてあげられたらなあ、という思いも歌に込めました。

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これからはお母さん (作詩・作曲の部)

これからは これからは
ゆっくりしてね お母さん
微笑んだ横顔が 心のささえです
つなぐその手のぬくもりに
甘えて和んだ思い出が
雪解け つくしも 微笑んで
ずっと 長生きしてねと
歌ってる
 

これからは これからは
返してゆきます 恩返し
照れているその顔に 優しい思い出が
苦労かけたね お母さん
これから甘えてくれますか
夕暮れ カラスも 西の空
明日も 元気でいてねと
鳴いてます

これからは これからは
まかせてください いつまでも
やすらかなその寝顔 守っていきたいの
遠い昔に 子守歌
聞いて眠ったその背中
今度は私が 聞かせます
母さん ねんねんころりよ
おころりよ


作詩・作曲/赤司一博(長崎県佐世保市/63歳)
 年老いて小さくなった母の背中を見るたびに、苦労かけた昔を思い出し、この作品を作りまし
た。母親と歩くのが恥ずかしいと思っていた、若い頃に戻ることができたなら、淋しい思いをさせることがなかったろうにと、今、後悔しています。

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杖とあなた(作詩・作曲の部)

アラームで起きれない僕を
いつも起こしてくれたよね
眠たい目 こすりながら
お弁当作ってくれたよね

 

いつしか増えたシワの数も
いつしか増えた白髪の数も
苦労かけた馬鹿な息子だから
何かできることないかな?

 

ただ迷惑かけてばかりの僕だから
できることは少ないけど
少しだけでもいい 少しでいい
あなたを支える杖になりたい
お金よりも大事なものは信頼なんだと
教えてくれたのは 優しいあなたでした
苦しい時も悲しい時も 僕が涙する前に
泣いてくれたのは いつもあなたでした

裕福でもない 家庭環境で
大学へ行かせてくれたのに
時に身勝手な言葉の刃で傷つけた
最低な僕だけど

 

誰よりも大事にしたい あなただから
できることは少ないけど
少しだけでもいい 少しでいい
あなたを支える杖になりたくて

 

ありがとうじゃ 伝えきれなくて
言葉にできないだけなんだよ
支えきれないその重荷は
今度は僕の番 力になるから

 

ただ迷惑かけてばかりの僕だから
できることは少ないけど
少しだけでもいい 少しでいい
あなたを支える杖になりたい


作詩・作曲/植田恭平(奈良県葛城市/30歳)
 私は今年で三十歳になり、両親も七十代の高齢者となります。父と母は、訪問介護やデイサービスの仕事をしており現在も働いていますが、徐々に身体の方も悪くなっています。母に関しては変形性膝関節症を患い杖をついて歩いている状態です。きっと二人は家族を守るために自らの身体にムチをうって無理してきたんだと思います。普段は面と向かって言えませんが本当に感謝しています。
 わがままで迷惑ばかりかけている息子ですが、何一つとして恩返しをしていない父と母に、二人の大好きな歌を通して伝えたいと思い、この曲を作りました。

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おかあちゃんの笑顔 〜彼岸に思う(作詩の部)

なあ おかあちゃん
そっと呼んでみる
あれほど暑かった夏が過ぎ
風が変わって
庭先に咲く 真っ赤なけいとうが
なぜか 今日はさびしそうにみえる
 

なあ おかあちゃん
この年になっても 途方に暮れること
いっぱいあるね
こんなに空が青いのに
なんだか 切ないねん
いつもあなたが言ってくれた言葉を
思いだしてる
「心配せんでもええ まっすぐ
正直に生きてれば 悪いことはこんで」
どれほど わたし 励まされたか
 

なあ おかあちゃん
朝早く起き 小さな身体でよく働いて
家族を支え なんでも出来たね
それなのに 突然 大好きなお料理が
できなくなった日のこと 覚えてる?
「お父ちゃんがいない」って
怯えるような瞳を揺らし
二人でひたすら
川べりを歩いた日暮れのこと 覚えてる?
なにが見えてるの?って
隣に いつもいるやんって

お医者さんから告げられたのは
アルツハイマー
自分が自分でなくなる怖さに
苦しんでいたのはおかあちゃんだった
わたし やさしくできてたんかな
あなたがそうしてくれたように
助けられてたんかな
わからへん
例え 娘たちの名前を忘れても
最後まで消えなかったのは
あなたの やさしさと笑顔
 

わたしも あの時
そんな笑顔を向けられてたら
深い おかあちゃんの寂しさ
減ってたやろな
今 そう思う
 

まあるくって
可愛くて幼子みたいな笑顔に
癒されていたのは
わたしたちだったんだよ
 

ごめんね
もう一度だけ 会いたいな
 

今も 胸のまんなかに灯る
懐かしくて あったかな あなたの笑顔に
そっと呼んでみる


作詩/福田智子(奈良県奈良市/66歳)
 母は晩年アルツハイマーを患いました。少しずつ始まっていたのかも知れません。
 料理の手順がおかしく、表情は険しく、傍に居る父を探し「実家に帰ります」と荷物をまとめる。そわそわと落ち着かない。泣いたり笑ったり、プライドと戸惑いの狭間で途方に暮れていました。何人ものヘルパーさんにお世話になりましたが、姉妹三人、終の棲家で見送ることができました。 今年の彼岸の一日、母は何を思っていたのか、私たちはあれで良かったのか、ふと思います。
 デイサービスに迎えに行くと、屈託のない最高の笑顔でいてくれた母を思い出します。あの笑顔といつでも娘の味方でいてくれた母に会いたいです。

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お父さん(作詩の部)

会社から私が帰ったら
ボ〜ッと座っている お父さん
きょうは あっちの世界のお父さんだ
炊飯器のスイッチ 押してない
お風呂のお湯のスイッチ 押してない
「お父さんの仕事 忘れてるよ」
その途端
「うるさ〜い! バカたれ!」
認知症三年目のお父さん
敵(かたき)を睨んでるみたいな お父さん
会社の疲れがどっと出て
私も「うるさ〜い!」
わあわあ泣いて 怒鳴ってた

「会社で何かあったのかい」
やさしく尋ねるお父さん
あっ!こっちの世界のお父さんだ
私を怒鳴ったこと 覚えてない
私を泣かしたこと 覚えてない
「大丈夫だよ もう 泣かないよ」
笑ったら
「よかった よかった」
五十七(ごじゅうしち)年も私のお父さん
今も私を心配するお父さん
会社の疲れが吹き飛んで
私は「お父さん」
ちょっと甘えて 呼んでみた
 

介護してるつもりが そうじゃない
支えられているのは この私
お父さん お父さん


作詩/楠田直美(兵庫県神戸市/56歳)
 父は認知症です。時々あちらの世界に行きます、が時々こちらの世界に戻ってきます。
 ある日、いつものように父が怒鳴りました「うるさ〜い!」。私もプチンと切れて、ワアワア泣きながら「うるさ〜い!」と応戦しました。すると、父の顔が父親の顔に戻り、父のせいで泣いているのに、会社で辛い思いをして泣いていると思い、やさしく私に接してくれたのです。
 その時に、『ああ、この人は本当に私の父なんだ・・・』と、急に愛しい気持ちが沸きあがってくるのを抑えることができませんでした。 介護してあげているつもりが、私が支えられていたのだと気が付かされた瞬間でした。その思いをしたためました。

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